中国が容認できない「二国論」

建国五十年の新中国の歴史は、急進社会主義路線を強行した毛沢東の三十年と、それを修正する形で七〇年代末から進められた近代化路線の郵小平の二十年に大別できる。

革命第一世代の毛沢東は、五八年の大躍進運動や、六六年からの文化大革命によって、中国に多大の災厄をもたらしたが、新中国を建国した「功績が七分、誤りが三分」と、今は評価されている。

これに対して、「改革・開放の総設計者」と呼ばれた革命第二世代の郵小平は、七九年からの二十年間に中国の国内総生産(GDP)の伸び率が年平均九・七パーセントに達する高度成長のレールを敷く一方、二国二制度」によって香港とマカオの主権回復を実現する大事業を実現させた。八九年の「天安門事件」は大きな汚点となったとしても、「新中国中興の祖」という評価は動くまい。

毛沢東、郵小平というユニークな二人のカリスマ的指導者のあとを継いだ江沢民国家主席を中核とする革命第三世代の中国現指導部は、「祖国の完全統一と中華民族の全面振興」「富強国家の実現」をスローガンに掲げて、共産党一党独裁体制を堅持しながら、改革・開放路線を突っ走っている。

現指導部が掲げるスローガンの中でも、とりわけ台湾の統一は、毛沢束も郵小平もついに果たせなかった中華民族の悲願だけに、江沢民主席の統一にかける執念は、並大抵のものではない。もし台湾統一が実現すれば、毛、郵の二人に並んで、中国の歴史に偉大な指導者として永久にその名を留めることができるからだ。