不行使に力の源泉

この決議の経過を追うと、アメリカが最初に提案した案では「武力行使」という表現になっていたが、中国と旧ソ連が強い難色を示し、英国が「最小限」という表現を入れる伸裁案でいったんP5案がまとまった。しかし、さらに非同盟諸国がこれに反対したため、中国がその意向を汲んで「武力」という言葉の削除を求め、それが受け入れられるという経緯があった。その過程で中国の発言権の裏付けになったのは、言うまでもなく拒否権である。

似た例は、九二年十一月のボスニアヘルツェゴビナに対する国連保護軍の増派決議でも見られた。強制措置をうたった国連憲章第七章を引用し、「当事者の同意」を必要とする平和維持活動(PKO)から一歩踏み出そうとする米国案に対し、中国は「第七章の引用を削除しなければ拒否権を使う」と英国に通告して妥協を迫った。結局米、英はこれに応じて文言を修正し、中国が棄権に回ることで決議は採択された。

このように、P5は明示にせよ黙示にせよ、拒否権の行使をちらつかせることによって決議案の修正を迫り、結果的に他の常任理事国から妥協を引き出すことができる。自国に有利なように表現を薄めさせ、さらに棄権することによって、結果的には決議を成立させながら修正案には同調しない、という微妙な立場を取ることができるわけだ。天安門事件以来、国際社会から孤立し、強い姿勢は取れない一方で、非同盟の声も代弁せざるを得なかった時期の中国としては、拒否権は貴重な外交上の武器だったと言える。

この例からも分かるように、拒否権は、むしろ行使しないところに力の源泉がある、とすら言えるだろう。だがそうであればなおさら、なぜP5にだけ、この強大な特権が与えられているのか。という疑問が出て当然だろう。実際、安保理の改革をめぐっては、常任、非常任理事国の枠の拡大と共に、この拒否権の見直しを主張する国も多い。しかし、現実には、安保理も大量の近代兵力を持つP5に頼らざるを得ない、というジレンマがあり、拒否権を否定する声は主流にはなっていない。