出生数の転換

わが国の人口は、この百年間で約三倍に増加した。幕末以来の経済発展、国力伸張の背景には、人口増加圧力があった。長い間日本は、「国土は狭く、資源が乏しいのに、人口が多い」ゆえに貧しい国だと教えられてきた。

人口の増加は、一方で日本人の心のゆとりを奪ってきたが、他方、和を尊ぶなどと口では言いながら日本人を激しい競争に駆り立てる背景にもなってきた。それは物量的な労働力という意味でも、精神的な向上心という意味でも、二十世紀におけるわが国活力の源泉であった。

今日直面している総人口の減少に先立つ出生数の転換は、すでに半世紀前に極めて急激に起っていた。第二次世界大戦が終わってまもない時期にベビーブームがあり、その直後、出生率は四九年から五九年のわずか十年間で四・三二から二・〇四へと、世界的にも例を見ないほど急速に低下した。

当時そのことは、それまでの「人ばかり多くて貧しい国」から脱却するための施策が成功したものと考えられた。しかし人口の増加がわが国の成長・発展にとってむしろ原動力であったことを、今日、人口の屈折点に立って初めて痛感させられている。

わが国の人口が減少した経験は、約二百五十年前、十八世紀中期にまで遡る。徳川吉宗の時代であり、享保の改革はおそらく人口停滞によるデフレの時代に行われたのであろう。それでも約七十年間の人口減少率は四・五%であるから、横ばいないしは微減というところである。