FRBにとっては屈辱的なティール

サブプライム問題で金融市場の動揺が始まった○七年夏以降、バーナンキ議長率いるFRBは、マクロ(利下げなどの金融政策運営)とミクロ(金融機関救済など金融システム安定化策)の両面から危機回避の主役として奔走してきた。利下げに転じる直前の○七年八月、バーナンキ議長は不気味な言葉を漏らしている。「過去数力月、数四半期の経済指標は景気や物価の先行きを予測するのにあまり役立たなくなった」。統計が異常値を示し始めたのは、経済活動のベースとなる金融の信用収縮が始まったからではないか。脳裏によぎる危機の予感を振り払うかのように、利下げに転じた後の動きは速かった。

○七年九月に年五・二五%だった政策金利の誘導目標の引き下げは、一ヵ月半に一回のペース。○八年一月には九日で二回、合計二・五%の利下げを断行。秋には欧州中央銀行(ECB)との協調利下げにまで踏み込んでいる。ゼロ金利導入までの十五ヵ月で利下げは合計十回に及んだ。だが、利下げによるマクロからの景気刺激は、信用収縮が急速に進んでいた金融市場の正常化には力不足だった。○八年三月、銀行大手JPモルガンーチェースによる証券大手ベアー・スターンズ救済買収で、FRBはベアーの資産から生じる損失リスクを負担することを確約した。

FRBにとっては屈辱的なティール(取引)だった。ペアーは預金を取り扱わないうえ、FRBの規制も受けない。金融システムの外側の存在とみなしてきたからだが、ペアーが破綻すれば金融システムは大混乱に陥る。金融システム危機を放置できない以上、現実にはFRBは最後には救済に応じざるを得ない。こんなFRBの弱みを見透かしたJPモルガンに押し切られる形で、FRBは損失リスクの分担に踏み込んだ。ルビコン川を渡った。FRBは金融機関の資金繰りを支援する制度を相次ぎ創設する。証券会社向けの公定歩合での貸出制度、国債の臨時貸し出し。金融機関の経営破綻が、金融システム全体の危機につながるのを防ぐ狙いだった。

危機回避に向けマグローミクロ両面から黙々と、自説に基づく大胆な政策を打ち出すベンーバーナンキ議長に、市場はこんな異名をつけた。通貨の番人である中央銀行は無制限にドルを印刷できる。政府からの独立が法律的に保証されているため、状況の変化にも素早く対応することが可能だ。異論は多い。「誠実な仲介者という立場に終面上符が打たれた」。かつての同僚であるラインハートFRB前金融政策局長は、公的支援を含む金融機関救済に踏み出した古巣を厳しく批判した。公的救済を期待して、野放図な経営が横行するモラルハザード(倫理・の欠如)を懸念したためだ。だが米政府はFRB頼みの剛作用をあえて見過ごし、アクティビストーペンにすべてを任せたいと願っていた。公的資金(財政資金)投人に伴う議会との折衝などは難航が確実だったためだ。

FRBのバランスシートが、アクティビストーベンの姿をはっきり映し出す。○八年八月末時点のFRBの総資産(九千八十九億ドル)のうち最も安全な米国債は四千七百九十六億ドル。総資産に占める国債の比率は過去一年間で約九〇%から五三%に急低下した。金融危機に対応し特別融資やリスクの高い資産担保証券の購入を増やすほど、中央銀行の資産の質は劣化していった。それでも、危機到来を防げるとバーナンキ議長が確信していたわけではない。「嵐は去っていない」。○八年八月二十二日。ワイオミング州で開かれた恒例のコンファレンスで講演した議長は金融市場に警告した。各国の中銀からは株価が急落する住宅公社の経営改善を求める声が届いていた。