競争力の問題の深刻さ

勝利への執念や、成功したいという気持ちは、日本人やアメリカ人だけのものではない。だが、全社員が毎朝、自分の分野で世界最高の仕事とはどのようなものかをはっきりとつかんで目を覚ますようにならなければ、競争意識があまねく会社中に浸透しているとは言えない。平社員だろうが部長だろうが、勝ちたいと思わない社員にはお目にかかったことがない。だが、次のことは経営陣の役割である。

すなわち「スーパー・ボウル(全米プロフットボールのチャンピオンチーム決定戦)で勝とう」というような目的意識を浸透させること、「パスを強化する必要があるLというようなカギとなる能力開発上の挑戦課題を明らかにすること、そして勝利のための各人の役割、たとえばクウォーター・バック、タイトーエンド、あるいはセンターの役割を全社員が理解できるように助けることなどである。
 
明確な挑戦課題が示されなければ、社員が会社の競争力向上に貢献するのはかなり難しい。個人個人で一生懸命頑張っても、全社が力を合わせ続けなければ競争優位を築くことはできない。同様に、外部の評価基準がないと、改善のプレッシャーをかけているのが厳しい競争の現実ではなく、経営陣だと社員が信じてしまう恐れが多分にある。
 
効率とスピードで勝る日本企業に押されて、何年もシェアを失い続けてきたある多国籍企業を我々は知っている。経営陣はもっと頑張ってほしいと懇願したり、基準に達しない仕事をしかりつけたりするビデオテープを社員に定期的に送りつけていた。だが、第一線の社員や中間管理職のほとんどは、会社が質的、そして量的にどれだけ競合他社に後れをとっているかを、自分たちの仕事に直接結びつけて理解できるような証拠を持っていなかった。実際、多少コストが高すぎることと、製品開発の期間をもう少し短縮する余地があることでは同意が取れていたものの、具体的なデータがなかったために、改善が急務であるという緊張感はまったくなかった。

経営陣は最初、競争力の問題の深刻さを認めたがらなかった。本社スタッフや事業部長たちは、競争力の低下を示す痛ましくも疑う余地のないデータを経営陣にぶつけるあつかましさは持ち合わせていなかった。どこの開発部門の長が、主な日本企業の二・五倍も研究開発費を使っていながらけるかに少ないヒット商品しか出していないことや、開発技術者がたくさんいるのに製品を市場に出すのに倍以上時間がかかっていることを簡単に認めるだろうか。

どこの世界生産部門統括取締役が、世界標準の十何倍も自社の不良率が高いことや、自分たちが台湾で製造するよりも低いコストで、日本企業がヨーロッパで、しかも小ユニット数で生産できることを簡単に認めるだろうか。販売・マーケティングの長が、売り上げは競合他社の半分なのに販売管理費率は一・五倍だという事実を認めたがるわけがないのも同様である。