民族とは何かを理解していない

日本人は、たまたま、他民族との交流が限られた島国で、古来から意図せずに国民国家を形成し、ネーションとエトノスがほぼ重なり合うという特殊な環境にある。日本人イコール日本語を話す日本民族で、日本という国民国家単一民族国家であるという虚構が、何となく受け入れられているこの国の大多数の住民にとって、民族紛争がどうしても対岸の火事としてしか理解できないのは、無理からぬことかもしれない。

だが、民族とは何かを理解していないのは、日本人だけではない。「我ら」と「彼ら」の違いは意識していても、民族という概念をもたないできたアフリカの部族社会が、植民地時代の負の遺産を引きずって、各地で「民族紛争」の当事者になっている。対照的に、民族同士の対立が何の幸せももたらさないことを長い歴史を通じてよく知っているはずのバルカン半島の住民が、あいかわらず民族抗争を続けている。いずれにせよ、民族の定義は、一筋縄ではいかない問題である。

民族と言語、宗教との関係についてはそれぞれ章を設けているので、ここでは生物学的な人種について少し詳しく記しておく。以下、「人種」の語を生物学的な意味でもちいる。外見的な特徴とか遺伝子情報とかによる生物学的な分類は、民族の分類に比べれば客観的、科学的な判断材料が豊富に思える。生物学的には、ヒトは一属一種だが、明らかな外見の違いで次のように分けられる。大きくはネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)の三大分類が一般的だが、さらにオーストラロイド(オーストラリア人)やアメリンド(新大陸の住民)と細分する方法もある。

どの説でもそう変わらない大筋だけをまとめれば、次のようになる。アフリカ大陸で生まれた新人(現生人類)のうち、一部がアフリカをあとにし、ユーラシアへ広がっていく。この脱アフリカ系の一部はユーラシアを北上し、日射量や気候に対して、肌色や目の色、鼻の形などを適応させてコーカソイドとなる。

北上グループより遥か以前、ユーラシアの中央から東、つまりアジア方面へ漸進したほうは、まとめて広義のモンゴロイドとされる。そのなかで、早い時期に分岐したのが、東南アジアを通ってオーストラリアやニューギュア方面(メラネシア)へ渡った人々で、とくにオーストラロイドとよばれている。一方、東アジアから北上し、当時、地続きだったベーリング海峡を渡って南北アメリカに広がった人々もいた。