創造的エネルギーの源泉

理想化された親イメージの発達は、まず、万能な親と融合したいという願望がかなえられると、次の段階では理想的人物への讃美となる。ぱじめは「うちのパパは世界一」というようなことから、やがてアイドル、天才、英雄、教祖など、家族外の存在への讃美となるのである。

この段階で未熟なときは、アイドルと自己とが自己対象的になって、アイドルを讃えつつ自分自身の顕示性も満足させているという状態になる。人気歌手に熱狂し、失神するファンなどがよい例で、失神は自己がバラバラになった状態まで退行することである。ときにはアイドルや教祖の死は、同時に自己対象的関係にある自己の壊滅をもたらし、自殺や心中という行動化に走ったりする。

この未熟な自己の段階から成長すると、より抽象的な目標が設定され、そこに全精力がそそがれるようになる。多くの天才や英雄たちが、自分の理想に生命をかけているのは、こうした理想化された親イメージの延長線上にいるからである。もちろんヒトラーのように自己愛的確信が歪められた形で結晶してしまうと、ユダヤ人を絶滅したいという妄想にちかい理想となり、それに全ドイツ国民がひきずられるという結果になる。この第二次大戦中の思い出は、いまだにドイツ国民の悪夢となっている。

ところで、北大路魯山人という天才の場合も、そのあまりにもむきだしな自己顕示性のゆえに、まわりの人間から敬遠され孤立していたが、そのかわりとして創造へのエネルギー源には事欠かなかった。幸いにも彼は潜在的な能力にもめぐまれており、書家として、陶芸家としての才能を百パーセント発揮することができた。

彼の場合、興味をひかれるのは、理想化された親イメージの側面において、遺伝的な実父、戸籍上の実父、何人かの養父たちには恵まれなかったにもかかわらず、よい指導者やパトロンがいたことである。また魯山人は、いかにも自己愛的人物らしく、自分に利益になる人間を利用することがうまかった。京都の呉服問屋・内貴清兵衛とか、金沢の細野燕台、また星岡茶寮の共同経営者・中村竹四郎などである。とくに中村との関係では、両者の関係が断絶したあと、魯山人は激しい抑うつ感におちいっており、中村への依存感情がいかに強かったかを物語っている。