SE力は英語力と同じ

わたしは技術偏重主義を徹底的に否定してきた。これはその裏返しなのである。これからのSEは、技術が変化しても価値が変化しない、普遍的な存在でなければ通用しなくなる。そして普遍的な存在であるということは、SEとして優れているのではなく、ビジネスマンとして、そして職人として優れていることをさしている。だからこれまで述べたことは、必ずしもSEにだけ言えることではない。あらゆるビジネスマンに求められる資質なのである。

だが実際は、多くのSEにいちばん欠けているのがこれらの資質なのだ。SEとしての教育はふんだんに受けていても、ビジネスマンとしての教育を受けていない者たちがほとんどなのである。だからこそわたしは、あえて「勝ち組SE」に残るために必要な資質として述べたのである。

言い換えると、優れたSEはビジネスマンとしても優秀であるということだ。いや、コンピューターシステムのことをまるで知らないビジネスマンでも、先ほど述べたような資質を備えた優秀な人間ならば、短期間の学習でトップSEになることができると言ってもよいくらいだ。

つまり、つぶしのきく万能職人であってほしいのである。SEしかできません、という人材では、もはや生き残るのはきびしい。いざとなったら、SEを辞めて別の職業でも立派にやっていけるくらいの度量がないとだめなのである。

SEの専門技術やスキルは、従来は専門家だけが保有する特殊なものだった。そもそもコンピュータという存在が、実際には重要な社会基盤や企業活動を支えてはいても、一般人とは縁の薄い存在だったからである。

しかし、いまではコンピュータは一般生活のなかにも浸透し、一世帯あたり一合のパソコンが当たり前になり、書店にはコンピュータ関連書籍や雑誌があふれている。このような環境のなかで、SE固有の知識や技術は、しだいに希少性を失いつつある。近い将来、それらの技術は英語力と同じ位置づけになるのではないか、とわたしは考えている。